外国語の教え方がちがう?
私のウエブショップ 「韓国 味ごよみ」
めでたく?ソウルに有る西江大学で韓国語を学ぶことになり、学校へ入学手続きをしに行く。
外国人が韓国語を学ぶ学部なので、少しくらい日本語がわかる先生か職員がいると思ったが、その思いは甘かった。たまたま通りかかった先輩の日本人留学生に助けられてなんとか手続きを終え、下宿の紹介もお願いする。
授業は全く韓国語だけで進められるので、初めはどうなることかと思ったが、先生はさすがプロ、2週間もすると先生が冗談を言えば、生徒たちが笑うまでになる。
韓国語による韓国語の勉強では名詞の説明は何とか理解できても、抽象的な言葉・例えば平和などは先生も生徒も大変苦労することになる。最悪の場合英語か漢字によっておわることとなる。
最初は日常生活をおくれるよう、身の回りの品物の名前、例えば歯ブラシ、石鹸、そして
自分の名前の言い方、町の食堂で注文ができるよう一般的な料理の名前などからはいる。
少し言葉が話せるようになると、何人かのペアが教室の前・黒板の前と後ろの壁に分かれ、自分の名前や出身国、好きな物や事を相手に伝えるゲームをする。
何組か同時に話すので、小さい声では自分の相手に伝わらない。
言葉の習い初めは誰でも声が小さいが、隣に負けずに声を出すうちに、いつのまにか
恥ずかしさや、躊躇する気落ちが薄らいでゆく。
そんな授業を受けていると、自分がこれまで受けてきた授業風景とは全く違う事に気がついた。
言葉を学ぶことは、意志の疎通の仕方を学ぶのであって、正しい文法による正しい言葉は理想ではあるが、今の日本の語学はあまりにも勉強のための勉強ではないだろうか。
語学(学問)ではなく言葉を習うことにシフトすべきではないだろうか。


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